人は生まれた瞬間に、いつまで生きているのか決まっているそうです。
命の時間は本人が知らされてないだけで、
誰でも平等にこの世に生きている時間を「運命」という言葉でお伝えすればいいのか、
外国人の皆さんも松井の本コラムを面白おかしく拝読していただいているんで、
私自身も決められている時間を精いっぱい生きることにしている一人でもあります。
仏法で言えば、生きていることは苦行でそれが必要で無くなった時に、
この世から別れられるとお言葉を頂戴したこともありました。
有り難いお言葉を頂戴すると、人は生かされているんですかね。
日々、精進です。
私が与えて頂いている時間はまだ50年ぐらいありそうですが(笑)
この仕事に就き、様々な案件をお預かりする身となると命の時間という言葉自体が大きいです。
この世とあの世の狭間を法律で埋める。
私は立派な大学を出たわけでもなく、有名な企業に勤めたわけでもないからこそ、
人間らしく、もう悔しくてこの世に遺された人の想いがあると我慢できなくて泣いてしまう時は思い切り泣いてしまう。
反対にどんな事情があったにせよ、あの世に逝ってしまった人には何もいえないので、
目の前の依頼者さんを置いて、たとえどんな事情でもお疲れさまと思う。
命の時間は限られています。その中で何ができるか。
私はもっと強い法律家でありたい。バッチコイってどんな相談でも内容でも、
泣きながらでもやっぱり立派だといえる人として法律家でもありたいです。
自ら自分の命の時間を終わらせたいなんて、想う人は松井まで,
待っています。