コラム【姥捨山があるなら】

昔、この国日本にて、年老いた親を子どもがおんぶして
その街の山に捨てにいくという文化があったそうです。

法律家になりたての頃、
子供たちのどちらかが学校でこの映画か小説を題材にした授業があり、
その当時の取材かなにかで、私が書いた文章を今でも鮮烈に覚えています。

あれから数年、介護事情は改善するどころか、
介護保険制度も福祉施設も想定していない超高齢化社会に日々進む中で、
自助努力ばかりで成り立っているのが現状です。
団塊世代が介護世代になっていくために出している政策もなにも機能していないのかと
団塊ジュニア世代はここからまさに正念場です。
私の場合は、子育てを早くに終えられ親世代に向き合おうと心の余裕をもってできますが、
身近にいらっしゃる方は、高齢出産と重なり、介護と育児、両方を同時進行で行う人たちを
たくさん陰ながら応援しています。紙おむつを我が子と親の二種類、ドラッグストアの安売り店をハシゴするなんて
もう数年前から当たり前の世界です。

なので法律家目線で言えば、終活セミナーは連日満員。
みんな自分の面倒をかけたくない、どうしたら遺された大切な家族に迷惑をかけないようにと
それぞれの人生の集大成を思い描きます。
本当に法律家は、そんな方たちの着地点になっているんだろうかと、
時にはそんなセミナーにも参加してみたいとと思います。

誰も、誰だって、誰かに迷惑を手間をかけて生きていきたいんじゃない。
そんなことを大切な身近な家族にかけるのならば、いっそのこと死んでしまいたい。

ウチの母は思い切り言います。何の老後プランもなく生きてる母に(笑)思い切り言い返します。
みんなそう思って居るって!誰しも迷惑をかけてまでこの世に生を受けたいなんて思わないよ!って。

社会的に成熟して、悪しき慣習はなくなるものです。だから現代の日本社会では姥捨山は存在しません。
社会も目まぐるしく変化します。

認知症の理解がまだ浅く、認知症になったらすべての事が分からないと思われています。
決してそうではないんです。ちゃんと分かっていらっしゃいます。
だから迷惑をかけていることも、自分が言ったことが分からなくなることも
たまらなく不安で申し訳なくて、心の声になります。そんな親さん世代を見ている、見てきたから、
自分たちが年老いたら迷惑かけないようにと情報を駆使して盛況になるんだと思いますよ。

では、私自身が年老いていて困ったとしたら、母親である私は姥捨山をどう思ったかと息子から聞かれての答えは、

そんなイイ山があるなら、息子のお前におんぶされて捨てられるなら本望、ありがたいと答えました。
母親なんて、産んで育てて、人様に社会に迷惑かけるんでないぞ!って教えることしかできません。

ある意味潔いと思ったんでしょうか、高校生の息子だったと思うんですけど、
年老いた息子に背負われて、そんな山があるならば一人の人間として迷惑かけなくて嬉しい。
その当時は、珍しかったのか何度も私は各方面から聞かれてこの話をしているので、おバカさんなんですが、
親と同じくバカ息子のanswerは、
とりあえず、この姥捨山に行くときは、その当時のルールでおにぎりを二つ、持たせて母さんを姥捨山にまさに泣きながら置いて行くんだけど、
母さんは、その捨てられた老人?!親たちとおにぎりを糧に、新しいことを生み出してみんな引き連れて山を降りてくる勢いだと(笑)

なんだかありがたい。胸がいっぱいになって今日まで走ってきましたが、
少し大人になってどんな見解になったのか、聞いてみようと思います。

高校生の彼にはそう写った私も、
おにぎり二個では立ちいかない、だんだんポンコツにもなりますが、そんな母ちゃんでいられる毎日を感謝と共に、
バカ親であるが故、私だけ限定の姥捨山を想ってやみません。あればいいよなー^^